貴帆かく戦えり

カテゴリー SAILING

1,000マイルのダブルハンド挑戦を終え、帰国して3日が経過しました。まだ体にダメージが残っていて復活するにはもう少し時間が必要です。チーム貴帆の戦いぶりを航海日誌スタイルで振り返ります。

5月14日

12時に観衆に見送られながらドッグアウト。まずは運河を1時間半ほど下って水門まで機走。跳ね橋や回転橋はすべて我々の通過に合わせて開けてあります。すっげーいい気分!

15時半にロックが開き、いよいよセーリング開始です。風は6ノット程度の微風。前回乗ってから1ヶ月以上のブランクがあるので慎重に〜。そもそも他のクラス40と並んで走るのも初めての経験ですから。

24艇の一斉スタート。位置的には素晴らしかったけど、問題はジブが開いてなかったw それでもなんとか10番で第1マークを回航。でもマークを回るごとに動作のボロが出て、ずるずると順位を下げてしまいました。短いレグでも潮を頭に入れ、COGをチェックしながら走らないとマーク際でスピードを失ってしまいます。

短いコースを回り、30マイル先のサン・マルコフ島まで一直線のリーチングレグ。先行艇団がやたらと上っているので、これはチャンスと落とし目でラムラインをキープしていたら、なんとその先には水深2mほどの浅瀬地帯が・・・慌ててクローズ上り一杯に変針しました。やはり地元集団の動きには何か理由があるようです。

途中風が後ろに回り、コードゼロからA2にチェンジ。微風のランニングの走りが良く2艇をパスします。日没前になんとかサン・マルコフを回航。海峡横断はTWA100度くらいと読んでA5にチェンジ。しかし実際は徐々に風が後ろに回り、再びA2に戻す羽目に。しかも一度おろしたA2のパッキングが悪く、2度手間3度手間で大きくロスし、せっかく前のレグで抜いた2艇に抜き返されてしまいました・・・

5月15日

北緯50度を越えた北大西洋の夜はとても短い。暗いのはほんの4時間程度で、もう東の空が明るくなってきました。ワイト島手前の回航ポイント、ノーマンズランドに向けてジャイブ。のはずが、どうやらウェイポイントがずれていたらしくオーバーセールで順位を落とす。ぐむむ・・・

ここからはタイトリーチとクローズ。A2を下ろし、1ポンにソレント(ジブ)で25ノットに上がったソレント海峡を突き進みます。海峡出口のハーストキャッスルに思いっきり寄せればショートカットできるとジャンから聞いていたのでトライするも、ちょうど潮替わりの時間だったのか強烈な潮目に追い出され、元の位置に戻されてしまいました。また1艇抜かれてしまった・・・

海峡を抜けて、今度はイギリス南岸をひたすらポートのタイトリーチで激走。2ポンリーフしていた先行艇をパス。最短距離を走りたいばかりに岬に寄せ過ぎると、グチャグチャの返し波でスピードをロスしてしまいます。何よりも陸地に近過ぎて、精神衛生上もよろしくありません。ドキドキハラハラは続く。

5月16日

夜半過ぎにイギリスの南西端、ランズエンドを回航。風は25ノット程度。潮が早く三角波が立っています。ダウンウインドセールをミディアムにするかA5にするかを慎重に考え、30ノットまで上がる予報も考慮して浅めのA5を選択。ホイストしたもののタックラインが引き切れません。何かおかしい。

確かめに行くとジャマーが滑らないようにと外皮の外に被せた滑り止めが外れかかって、かえって邪魔をしているのが判明しました。これをなんとか取り去ろうとしている間に、今度はファーリングしたままのA5に風が入ってリーチが開き始めてしまいます。この状態ではキレイにファーリングが開けない可能性が高い。仕方なく一度下ろすことを決断。

しかし25ノットの風の中で、リーチの暴れるA5をデッキに下ろすのは簡単ではありません。回収し切れないジェネカーが海面に落ちそうになるのを拾いにいってしまい、絶対に放してはいけないハリヤードから手を放してしまいました。あっという間にジェネカーはすべて海の中へ。

「切って捨てる」

北田さんの一瞬の判断でした。数々の修羅場をくぐり抜けてきた北田さんのこの一言があと数秒でも遅れていたら、ディスマストもしくはシートやジェネカーがラダーに絡まって海難救助を要請していたでしょう。そしてその救助が到着するよりも早く岸に打ち上げられていたと思います。

即座にタックライン、ファーリングライン、シート、ハリヤードを切断してA5を投棄しました。またその時刻と緯度経度を記録し、のちにレース委員会に報告して付近を航行する船舶に注意を出してもらいました。願わくばファーラードラムの重さで沈んでいることを祈ります。

海の上では小さなミスが次のミスを呼び、取り返しのつかない大きな失敗につながる。その典型でした。精神的にも肉体的にも困憊し、しばし呆然・・・でもまだ走れる。いまやれることをやろう。気持ちを切り替えて、ミディアムジェネカーを上げ、レースを続行します。

夜が明けると昨夜の悲劇など幻かのような晴天と、15ノットのほど良い追い風です。たくさんのイルカに囲まれながら美しいタスカーロックを回航。辛い道のりだった分だけ、喜びも倍増です。2人して少年のように喜びあいました。まだまだ地獄の1丁目だとも知らず・・・

5月17日

ここからファストネットロックまでは長い長いアップウインドです。数回のタックを打ったあと、自分たちの航跡とイェローブリックで見る他艇の航跡が全然別物だと気づきました。自分たちのタッキングアングルは120度くらい大きいのに他艇は90度を切るようなタックをしています。何かがおかしい。

ひょっとして大きな勘違いをしているんじゃないか?クラス40はオーシャンレーサーだから上り角度は悪いんだ。TWA55度くらいで走るのが当たり前だと思ってたんです。だってフネに貼ってあるチャートを見ると50度からしか数字が入ってないし。でも他のフネはどう見ても45度で走ってるぞと。

そこで根本的に自分たちの走りを疑い、ジブのセッティングを思い切って引き込むように変えてみたんです。するとどうでしょうw なんと、TWA45度どころか40度でも走るじゃないですか。しかもスピードもほとんど落ちません。クラス40を過小評価してました。ごめんなさい・・・

と一気に走りが良くなり、ご機嫌で走っていた頃に携帯の電波が入ったのでこんな動画をアップしたのでした。でもここからが地獄の2丁目。ファストネットロックにアプローチするには、右に半島、左に航行禁止エリアが設置されていて、タックする度に弧を描くようにリフトをくらい、一向に近づけないのです。しかも風はどんどん上がる。

25ノットを越えてきて、ソレントからステイスルにチェンジしようとしたのですが、ハリヤードロックがかからず、何度も繰り返すうちにハリヤードの外皮が切れて引けなくなってしまいました。仕方なくジブはソレントのままメインを2ポンリーフ。これでは余計に上り角度が稼げません。明るいうちに回航できると目論んでいたのに、ついに日付が変わってしまいました。

5月18日

何度タックを繰り返したことやら?どこまでいっても風はファストネットから吹いてきます。ついにその姿を眼前に捉えたときに、僕の目にはもう闇夜に浮かぶ巨大な一つ目のお化けにしか見えませんでした。古くから難所として知られ、多くのセーラーの命を奪ってきたファストネットロック。その理由が良ーく分かった気がします。

疲労困憊の中、まずフネを止めてメインのリーフを解除。そして暗闇の中で慎重に慎重にA2をホイストしました。怖かったなぁ〜。明るければなんてことないことも、暗いってだけで疲れは2倍増し、怖さは3倍増しです。

長い長いダウンウインドレグ。夜が明けて後ろを振り返ると、小さな黒い雲がたくさん浮かんでいて、ところどころで土砂降りの雨が降っています。そしてまた意地悪なことに、そんな真っ黒い雲がピンポイントでこっちめがけて追いかけてくるんだな、これが。勘弁してくれとリーチングでスピードつけて逃げるんですが、無駄な抵抗。あんなに苦労して張った虎の子のA2を一瞬の突風のために下ろすのは精神的に辛かった・・・ふざけんな北大西洋!

5月19日

ランズエンドを越えてイングリッシュチャネルに戻ってきました。ただし残念ながら風が頼りありません。6ノット程度に落ちてしまった風の中、目指すガンゼーはまだ100マイル以上先です。そうこうしてる間にトップ艇がフィニッシュしたとの情報が入りました。マジか〜

世が明けても風は一向に吹いてくる気配がありません。あんなにずっと強風で苦しんできたのに皮肉なものです。トップ艇から36時間以内にフィニッシュしなければタイムリミットでゲームオーバー。途端に黒い雲が恋しくなってきました。あ、あそこが黒い。上っていけばうまく入れるんじゃないか?とあがきますが、今度は全然こっちに来てくれない・・・おーい、風をくれ〜!

あの手この手を尽くしてフネを進めますが、遅々としてガンゼーは近づきません。お昼を過ぎ、これはもうタイムリミットかと覚悟しだしたとき、突然艇速が上がりました。風速はまったく変わってないのに、スピードはいいし角度も落とせる。潮です。どうやらガンゼーに向かう特急レーンに乗ったらしい。

俄然元気が出る2人。気合いを入れるコーンビーフの塊を食らい、A2のリーチングで一気にガンゼーを通過!幸い潮も心配したほど強くなく、いよいよ最終コーナーを回ってホームストレートです。

5月20日

長く辛い1,000マイルも残航50マイルを切りました。あとはフィニッシュラインまでのレイラインでジャイブを決めるだけ。しかし、最後の最後で地獄の3丁目が・・・

なんとラストのジャイブでジェネカーを思いっきりジブに絡めてしまいました。巨大なココナッツ状のジェネカーがぐるんぐるんと3周ほど巻きついて、人間2人の力では戻すことも下ろすこともできません。

落ち着け、考えろ、必ず方法はあるはずだ・・・

スタートして既に5日が過ぎ、過労と睡眠不足で肉体的にも精神的にも極限状態でした。ここでこの最終課題をクリアしなければ、そのすべてが無駄になってしまいます。絶対に無事にフィニッシュして、元気に家族の元に帰るんだ。諦めるな、答えはあるはず。

そうだ、ファーラーに巻きついてるんだから、ファーラーを回せばいいじゃないか!渾身の力を振り絞ってファーラーを回すと、巨大なココナッツが徐々に小さくなっていきます。よし、いい兆候だ。

半分くらいに小さくなったところで、「ここを引っ張れ」と誰かに囁かれた気がしました。フットの真ん中に全体重をかけて引っ張ると少し手応えが。ここだ!2人の全体重をかけて引っ張る。ズバンと解けるジェネカー。いい年したオッサン2人が抱き合いました。泣いちゃいそうでしたw

今度はスナッファーを下ろして慎重にジャイブし、一路フィニッシュラインへ。そしてちょうど朝日が顔を出す午前6時15分01秒に、日出ずる国から来た挑戦者はフィニッシュラインを切りました。スタートから5日と13時間45分01秒。参加24艇中15位でのフィニッシュでした。

精も根も尽き果てました。想像はしてたけど、想像よりも遥かにハードでした。1,000マイルという距離よりも、ルートの複雑さと北大西洋の変化の激しさが、このノルマンディーチャネルレースを困難にしていると感じます。先駆者たちが口を揃えて、「このレースをフィニッシュできれば他のどんなレースも克服できる」と言う意味がよーく分かりました。

桟橋にはジャン、パトリシア、そして清水さんの陸上部隊が朝も早いのに迎えてくれて、このときばかりは堪えてた涙が溢れました。こんな外洋のド素人が最後まで走り切れたのは、彼らのサポートのおかげに他なりません。心から感謝します。

そして誰よりも、この困難な1,000マイルを一緒に克服した戦友、北田浩さん。本当にありがとうございました。素晴らしい経験をさせていただきました。スタートからフィニッシュまで一貫して僕を信頼し、尊重し、僕のミスでA5を捨てたときも一言もそれを責めない北田さん。ありがたかったです。頼もしかったです。おかげで最後まで気持ちを切らずに走ることができました。

やはり海は厳しい。ミスを許してくれません。これまでの自分のセーリングがいかに緩くて甘いものだったかを思い知りました。僕のキャリアの中ではまったく異質のセーリング。スポーツよりも冒険と呼ぶ方が相応しい。

あらためてボルボオーシャンレースやヴァンデグローブで活躍するオーシャンセーラーたちを心から尊敬します。そしてレーサーだけでなく、長距離の航海をこなすソルティーな先輩セーラーも。自分はまだまだヒヨッコです。

フィニッシュからこんなに時間が経っても、まだベッドの中でセールトリムが気になってうなされる夜が続いています。体はまだ回復していませんが、心はやり切った充実感でいっぱい。アジア人初のノルマンディーチャネルレース完走。これはずっと北田さんと僕の勲章です。貴帆かく戦えり。長文におつきあいいただき、ありがとうございました。明日から通常のブログに戻ります。

コメント

コメント(7) “貴帆かく戦えり”

  1. 博多の官兵衛

    ヘイ、アミーゴ!
    無事のご帰還を祝杯しよう。
    短かくも長く感じた一週間の闘いは、充実感でいっぱいだろう。
    生きて帰ってこそ、次の目標にもなるからな〜(^^)
    世界戦略に向けた、大いなる第一歩に感動したよ!

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  2. Kenta

    ここまできたら次はバンデグローブだね!応援してますよ!

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  3. ゆう

    40Ftを二人でレースモードで操るだけでも信じられないのに、そんなややこしいとこ走るなんて!
    フルクルーで、布施田水道沖の岩場の間を抜けることにビビってる自分が恥ずかしくなったよ。

    つぎは、ヴァンデグローブのハナシを聞かせてください

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    • hiroki

      普通の40フィートと違って、ソロかダブルで操る仕様ですから。っていうか普通の40フィートに乗ったことないんだけどw

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  4. kita

    ヴァンデ?
    100年早い(^^;;

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