奇跡のフネ

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あの日から今日で3年。それまでの僕は正直言って、自分が生きている間にこれほどの大災害が起こるなんて思っていませんでした。津波も原発事故も、想定外のさらに遥か遠くから降ってきたような現実で、もう日本に住めなくなるんじゃないかという恐怖感がいまでも鮮明によみがえります。

実は先日、ある「まとめ記事」を読んで驚いたことがありました。2013年11月に2ch上で「東日本大震災で津波で死に掛けたけどなにか質問ある?」と題して立てられたスレッドのまとめで、名取市閖上の自宅で被災し、津波に流されながら奇跡的に一命をとりとめた方の告白です。

興味本位でクリックして読み始めたのですが、語られる言葉がとてもリアルで、テレビ画面からは感じたことのない本当の恐怖を感じました。当時中学3年生だった彼は、自宅に一人でいる時に真っ黒い津波が見え、もうダメだと一瞬にして死を悟ったそうです。波で家ごと動き出したのを感じ、必死で屋根に上ったけど、その屋根も崩れてしまった。しかし絶体絶命な彼の前に奇跡的に一隻のゴムボートが流れてきて、なんとかそのボートにしがみつき、九死に一生を得たとあります。

ojikaこれを読んで鳥肌が立ちました。実はあの津波に我が社が販売したVSRも4艇が流されました。傷だらけで見つかったり、沖に流されてしまったのか見つけられなかったフネもありましたが、東北大学ヨット部のレスキュー艇、「OJIKA」号は違います。被災から数日が経ち、沿岸から3キロほど入った農家の敷地内に写真のような状態で発見されました。学生さんが頭を下げて引き取りに行ったとき、「お詫びだなんてとんでもない、このボートのおかげで何人かが助かったんですよ!」と逆にお礼を言われたそうです。

僕は生き残ったVSRを復活させることが復興支援になると思い、このOJIKAも修理しに行きました。しかしこのフネはどこも修理するところがないほど無傷だったのです。萎んだチューブも空気を入れたらパンパンに膨らんで、穴一つ空いていませんでした。まさに奇跡としか言いようがありません。

もともと漁港の閖上にゴムボートなどほとんどなく、他のボートはすべて激しく損壊して見つかったので、あの津波の中で浮き続けて人命を救えたのはきっとこのOJIKAくらいしかなかったんじゃないかと思います。2chの彼もひょっとして・・・

彼は誰かが乗っていたゴムボートが自分のところに流れてきて、その人の代わりに生き残ったように感じているそうですが、もしこのOJIKAだったらそうじゃないよと伝えたい。乗り手はすぐに避難して全員無事だったんだよと。でも匿名掲示板の話なので、この彼を特定して伝えるのは容易じゃありません。そもそも別のボートだったかも知れないし。

確かに言えるのは、OJIKA号はあの激流に流されながらも人の命を救い、そしていまでも救助艇として活躍していることです。僕はただそのことが誇らしい。まさに奇跡のフネです。この仕事をやっててよかったと心から思いました。

あれから3年が経ち高校3年生になった彼は、自衛官になりたいと思っているそうです。人を助ける仕事がしたいと。もしOJIKAがそんな彼の命を守ったのなら、なおさら誇らしい。きっと人のために尽くせる素晴らしい自衛官になられることでしょう。

彼のように奇跡的に一命をとりとめた人もいますが、多くの場合はそうではなく、たくさんの方が亡くなったり、大事な人を亡くしたりしました。僕もかつてここ閖上を本拠地にセーリングしていたので、他人事ではいられません。助けられなかった命、そしてそこから立ち上がってきた人たちの強さ。3月11日はそれらに思いを馳せる日です。黙祷。

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