去年の2月26日にジュニアのコーチとして初めて訪れた宮古。山田線の車窓から見える銀世界を見ながら、なんでこんなクソ寒い時に・・・とぼやいていたのを覚えています。でも行ってみると、人々の優しさと子供たちの屈託の無い笑顔に魅せられ、すぐに宮古が大好きになってしまいました。
そしてその2週間後にあの震災と津波が襲ったのです。僕は宮古の子供たちが無事だったかどうかが気がかりで、というより、恐らくダメなんじゃないかという恐怖に耐えられず、連絡をとれないままでいました。しかし、9日後の3月20日に岩手県連の方から連絡が入り、全員無事、しかも流されたシグナス(VSR5.8R)が見つかったと知らされました。
良かった・・・もう居ても立ってもいられず、できるだけ早くシグナスの修理に行くと約束。そしてその日に東北支援キャンペーンを決意し、1ヶ月間の売上を全額寄付すると発表しました。いま思えば、会社を潰しかねない無謀なキャンペーンですが、あの時はそれでもいいと思ったんです。生きてるだけで有り難いと。
ヨットもマリーナ設備も全てを失った宮古のセーラーにとって、唯一生き残ったシグナスは希望の光。なんとか元通りに直して、復興のシンボルにしたいとのこと。そこでまず4月9日から3日間シグナスのチューブを修理。そして4月29日から4日間はハルの修理をし、シグナスを完全復活させることができました。
その後、夏のインターハイでは宮古の高校生たちが4位入賞などの素晴らしい成績を収め、東北のセーリングの灯が消えていないことを示してくれました。震災直後の状況からは、とても考えられない成績です。ホントに逞しい。
9月にはOPの発注をいただき、納品ついでにモスを持っていきました。子供たちに飛んでるところを見せてやると約束してたしね。(風が弱くてチョコッとしか飛べなかったけど・・・)
そしてその頃、東北の高校生たちに420を寄付したいという申し出をいただき、雪解けを待って、今回の納品となりました。リアスハーバー跡地には、関係者の尽力による仮設艇庫や仮設事務所が作られ、復興に向けて力強く歩を進めています。こうしてそのお手伝いをできることはとても幸せだし、声をかけてもらえることを誇りに思います。出会いに感謝、人に感謝です。これからも僕の宮古参りは続くでしょう。