宮古からの帰り道、高速を降りてかつてのホームポートだった名取市の閖上を訪ねてみました。近くを通るたびに同じ場所に立って定点観測しています。

かつての閖上の町はほとんど跡形もなく、津波で流された広大な地区は5mほど嵩上げされていました。堤防を高くし、土地の嵩をあげることで新しい閖上の町が再建されるそうです。それで安全なのか?悲劇は繰り返されないのか?僕には正直言って不安が拭えませんが、この土地を愛する人たちに他人がとやかく言うことではないのでしょう。

慰霊碑に手を合わせたあと、今度は常磐道を浪江で降りて、国道6号線沿いに10キロほど走ってみました。福島第一原発のすぐ横です。この国の中に人の住めなくなった町があって、いまも多くの人々が命がけで頑張ってくれている。そのことを実感したかったから。

インターを降りる前から、広大な土地に積み上げられた無数の汚染土が目に入りました。すさまじい物量です。これがずっと増え続けるという重い現実。

浪江インターを降りると雑草が民家、田んぼ、歩道、線路などを覆う勢いで伸び放題。人が住まなくなるということは、自然に還るということなんだぞと、目の前を横切る大きなイノシシが教えてくれた気がします。

海沿いのマリーンハウスふたばという宿泊施設の時計は、津波の第一波が襲った時刻のまま止まっていました。この町の時間は、あの日のままずっと止まっています。住民たちが帰れる日はいつになるのか。それはまだ誰にも分かりません。

この国に住んで、電力の恩恵を受けて暮らしている以上、ここで起きている現実を実感しておきたくて寄り道をしました。今日も福島第一原発の敷地内では、多くの作業員が、それこそ命がけで事態の収束へ力を尽くしてくれています。ありがたいことです。人によってエネルギー政策の考え方に違いはあっても、その方々に対しての感謝だけは忘れてはならないと思います。

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