積極的疎開

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あまりに重いのでこのブログで触れていませんでしたが、やはり熊本の震災のことが気になります。連日繰り返す、余震と呼ぶには強過ぎる地震によって、被害は拡大していく一方です。生まれ育った九州の真ん中で、いまもライフラインを断たれて不安な夜を過ごしている人たちがいると思うと、胸が締めつけられる思いです。

以前も書きましたが、僕ら家族は葉山に住んでいながら、3.11の直後に2週間の疎開を決行しました。あの時の判断は間違ってなかったと思うし、もし同じような境遇に陥ったら、迷わず同じ判断をします。家族を守ることを最優先に考えれば、疎開がベストだと考えるからです。

もちろん、誰もがこんな行動をとれるとは思いません。仕事がある、守るべき家がある、守るべき地域がある、自分が離れる訳にはいかないという方は残るべきでしょう。でも特に子供や高齢者は、ある程度生活できるレベルに復旧するまでは、被災地から離す訳にはいかないんでしょうか?水も電気も食料も心配いらない場所へ。

日本中からたくさんの支援物資が集まっていますが、あまりの量に仕分けができず、肝心の避難所に届かないというケースは、東日本大震災でもありました。組織も情報の伝達もグチャグチャの現地では、そうした混乱が起こることも想定の範囲のはずです。モノを集めることと同時進行で、人を散らすことが有効なんじゃないかと思えて仕方ありません。

当然、誰がその人たちを引き取るんだというのが問題になります。親類縁者に頼れる人はそれが一番望ましいでしょう。でもたとえ公民館や体育館であっても、ライフラインや食料に事欠かない場所の方が精神的にも肉体的にも楽なはず。受け入れた自治体にとっては経済的な負担が一時的に発生するでしょうが、それこそ義援金をあとから補填することもできるのでは?

現場を知らない素人の戯言なのかなぁ。どうもこういうときに被災地から離れることを、後ろめたいと感じさせる風潮があるように感じるんですよね。人が減ることで、本当に必要な人に物資が行き渡ることにも繋がるのに。

近隣の被害のない自治体にはぜひ受け入れに手を挙げて欲しい。実際3.11の時は全国の市営住宅の空きをうまく活用して、疎開を実行してましたよね。水も電気もガスもない、しかも余震で揺れ続ける被災地の公民館や体育館は、もはや避難所と呼べないと思います。せめて被災していない、本当の避難所へ積極的に移してあげて欲しい。

被災地周辺の自治体には、現地に物資を送るよりも、被災者を受け入れる支援を、というのは難しいでしょうか?

コメント

コメント(2) “積極的疎開”

  1. 9shu

    同じような考えの記事を読みました。
    ぜひご覧ください。
    (もしかしたらご存知かもしれませんが)
    http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/touch/20160419
    私たち一人一人が何ができるかを深く考え、
    実行する必要がありますね。

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