新静岡高速

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今年の初夏には新東名の御殿場 – 三ヶ日間が開通するそうですね。御殿場から三ヶ日ってことは静岡県丸ごとでしょ?これは大きい。

そもそも静岡長すぎるんだよ!東名走ってる時間の8割くらい静岡な気がするぞ。責任者出てこい!

新東名、っていうか新静岡高速、楽しみだけど、これで交通量がさらに増えて、三ヶ日から先の渋滞がひどくなりそうなのが心配ですね。いまですら音羽蒲郡から豊田までがいつも渋滞してるのに。大丈夫なのかな。

木馬

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オーナーさんのリクエストで初めての真っ白チューブをつけたこのVSR5.8Rは、まさにホワイトベースみたいな貫録がありました。カッコいい!

今日はこの木馬を蒲郡まで搬送したのですが、東名走ってて、1つ前のトラックとその前のBMWが接触したのには心臓が飛び出そうになりました。あれは事故っていうか、明らかにトラックが怒ってぶつけに行ってました。とんでもないドライバーがいるもんだわ。恐ろしや。

蒼い彗星

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昨日手続きをしておいたVSRの搬出のため、今日も本牧埠頭へGO! コンテナの封を切って中をチェックするのは何度やっても緊張します。固定が甘くてフネに傷がついてたこともあるし、頼んだ仕様と違ったり、備品の積み忘れなんか日常茶飯事だからです。あわてて埠頭からメーカーに電話して空輸させたことも一度や二度じゃありません。

今日は幸い傷もなく、仕様もオーダーどおりで、積み忘れもありませんでした。ピカピカのVSRを積んで首都高を走れるのは僕の特権です。我が社まで無事に搬送完了。明日はもう1艇を積んで蒲郡に行きます。

怒濤の一日でした。まず朝一で葉山警察署に行き、申請していた車庫証明を受けとる。次に葉山町役場で印鑑証明をもらったら、トレーラーを牽いて本牧埠頭へ。海上輸送で到着したVSRの輸入通関です。税関で申告をし、税金を払い、輸入許可が下りたら保税倉庫で搬出の手続き。

そこまで終わったらすぐに港北の陸運局へ移動して、今度はトレーラーの車検を受けます。国体の時にトラックに突っ込まれてしまったトレーラーのナンバーを返納して廃車にし、中古で譲り受けたトレーラーを新規登録しなければいけません。検査ラインの順番待ちが全然進まないなーと思ったら、検査官が全員同時に休憩してたのには参りました。別々に休まんかい!

無事に車検に合格し、ナンバーを付けた時点で午後4時20分。6時までに成田空港に行きたいんだよー。そぼ降る雨の中、東関道をすっ飛ばして5時50分に成田到着。時間ギリギリに必要書類を手に入れ、今度は航空輸送で到着したMach2の輸入通関です。申告をして税金を払い、許可証をもって倉庫で搬出手続き。トレーラーに載せて固定したら午後8時を過ぎていました。

猛吹雪の中をひたすらノロノロと安全運転で帰り、やっと家に着いた時には午後11時。長い一日でした。

輸入通関や、陸運局でのユーザー車検を初体験した頃は丸一日それで終わっていました。一日で3つこなせるようになったとは要領が良くなってきた証拠です。3倍速いなんて、シャアみたいだ。ハワイで羽伸ばしてる社員が戻ってきたらキャスバル兄さんって呼んでもらおう。あー疲れた・・・

海が燃えた日

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新年会の壇上で、前JSAF会長であり、ニッポンチャレンジのチェアマンであった山崎達光氏が、武村洋一氏と共著の「海が燃えた日」を上梓したと案内がありました。石橋と470のキャンペーンをしていた頃に物心両面で大変お世話になったお二人の共著とあれば、手に入れない訳にはいきません。その場で購入し、さっそく読み始めました、というか一気に読み終わりました。

熱い。バリバリ熱い。

基本的には、お二人がいかにして至高の銀杯に挑んだかの回顧録が中心です。しかしそれよりも本当に伝えたいことは、もう一度やろう、これほど価値のある挑戦はない、まだ諦めちゃいけないんだ、そういう熱いメッセージだと感じます。ビンビン感じます。

もっと有り体に言えば、この本をこのタイミングで出した目的は、AC45のユースアメリカスカップへの参戦を実現するため、後進の若者を鼓舞するためなんでしょう。確かにユースアメリカスカップからでも参加しなきゃ、夢を持たなきゃ、永遠にその夢は実現しません。

個人的に最も印象に残ったのは、”「挑戦し続けなければ失うものがある」ということは、挑戦したものにしかわからないんだよ。”というフレーズでした。お二人とお話する度に、アメリカスカップを見るものとしている人間と、戦うものとしている人間の差を痛烈に感じます。AC45のサーキットを見て、僕なんか「カッチョエー」と単に憧れていますが、お二人はきっと、その場にいられないことを忸怩たる思いで過ごされているんだと思います。

ページをめくっているといまから20年前、1992年の夏が自分の中にまざまざと蘇ってきました。高校からヨットを始めた僕は、博多の海で3年間、潮まみれになって過ごしました。大学でも絶対にヨットを続けたいと願い、早稲田を受験したのですが、まさかの不合格。失意のまま浪人生活に入り、これという目標を見つけられない日々を過ごしていました。

もちろん、もう1年しっかり勉強して早稲田に入る、というのも目標だったのですが、18歳の少年から高校生という肩書きを取りあげ、1年間自由な時間を与えてしまうと、いろいろと良からぬことを考えるものです。なぜに大学受験に失敗したのか、これには何か意味があるんじゃないか?他に何かすることがあるんじゃないか?などと。(単なる努力不足に過ぎないのに!)

そんなある日、新聞のスポーツ欄の片隅に、ニッポンチャレンジのクルー募集という記事を見つけたのです。その年の春、ニッチャレは初挑戦ながら挑戦艇シリーズの準決勝まで進み、連日テレビや新聞を賑わせていました。敗退後、早々に次回挑戦を表明し、95年の大会へ向けてクルーを公募したのです。しかも180センチ75キロ以上という前回の応募制限を撤廃し、より幅広い人材を募るとのこと。

これだ!

震えました。これなんだと。オレが浪人したのはこれに応募するためだったんだと納得し、ひと足先に大学生になった同級生たちを哀れにすら思いました。これに応募できないなんて、こんなチャンスを活かせないなんてと。

書類選考に思いの丈を綴り、毎日トレーニングに勤しみました。こんなチャンスに出会えたことがうれしくてうれしくて。書類選考の合格通知が来た時にはもう、世界を股にかけるプロセーラーになった気分でした。たかが3年間スナイプに乗っただけで、キールボートなんか一度も乗ったことなかったくせに。でもあの夏、僕は本気で夢を見て努力しました。

そしてついに最終選考。新幹線で蒲郡に行き、体力測定やバスケットボールの実技、面接などを受けました。その日ベースキャンプで見た現役のクルーたちは本当に輝いてました。真っ黒に日焼けした、鍛え上げた身体と、揃いのNipponのユニフォーム。自分がこの一員になれるなんて夢のようでした。面接ではテレビや雑誌で見ていただけの人たちに質問され、舞い上がっちゃって何を話したか全然覚えてません。

結果あえなく落選。僕は最終選考に進んだうち最年少の18歳でしたが、もう一人いた18歳の三瓶さんは合格していました。ショックだったなー、勉強でもヨットでもオレはダメ人間なのかと落ち込みました。

その後、同志社に推薦で合格し、晴れて大学生という肩書きを持って、好きなヨットに勤しむことができたのですが、周りの学生セーラーとは違う回り道をしてきたからこそ、自分は絶対に負けないんだという意識を持って過ごしました。95年のアメリカスカップ、2度目のニッポンチャレンジを雑誌で見ながら、あっちにいたかも知れなかった自分は、学生ヨットの枠を超えて活躍すれば、向こうから声がかかる日が来ると、そう本気で信じていたのです。

卒業後、470でオリンピックを目指し、sailfastへとつながっていき、いつかニッポンチャレンジにという夢は達成できないままとなってしまいました。でも、初めて本気で夢を追ったあの夏の数ヶ月は、いまでも自分の原動力です。sailfastのキャンペーンも、SAILFASTでの事業も、やってることに多少の違いこそあれ、思いはあの18歳の夏のままです。

もう一つ、読後に印象に残ったフレーズがあります。”アメリカスカップに挑戦することで社会に何を還元できるか”お金集めに苦労したお二方だからこそ、これがいかに大事かを伝えたいのだと思います。僕もオリンピックキャンペーンを通じて、社会に何かを還元しないと、自分たちのキャンペーンは成立しないんだということを学びました。ヨットが好きなんです、金メダルを獲りたいんですだけではお金は集まりません。その挑戦を通じて社会に価値を提供しなければ。

僕らはTシャツを販売し、挑戦の記録を公開し、オリンピックキャンペーンを疑似体験してもらうことに挑みました。特定の企業に所属しないでオリンピックを目指そうと思ったら、社会の中で活動が有益だと認められないと存続できないからです。当たり前のことですが、でもそんなことをしてるセーラーは当時はいませんでした。

いま社会不安と経済不況にあえぐ日本において、世界の頂点に挑むことの価値は認められないのでしょうか?大震災と津波を経験し、生活基盤の整備がなによりも優先されるようなときに、夢を見るのは不謹慎ですか?じゃあ戦後の焼け野原から奇跡の経済成長をなしえたのは何が原動力だったのでしょうか?

いまこそデッカイ夢を描くべきです。ドデカイ夢を。

僕は今年、まずはモスで32ノットを目指します。世界記録を更新して、日本人でも高速セーリングができるんだと世に知らしめたい。AC45よりも速く走りたい。お二人の偉大な先輩の熱に絆されて、まずは自分にできる挑戦への決意をここに表明します。

JSAF新年会

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帝国ホテルで行われたJSAF新年会に参席してきました。パースでの結果報告や、ロンドンに向けての決意表明などありましたが、選手が1人しかいなかったのは残念でした。各自の練習などスケジュール調整は大変でしょうが、ああいう支援者が多く集まる場には極力顔を出すべきだと思います。普段なかなかお会いできない方々と、貴重なお話をたくさんできて、濃密で有意義な時間でした。

散会したあとは、オリ特の方々と連れ立って、美味しいもつ鍋をいただきました。博多出身でもつ鍋にはうるさい方ですが、さすが大都会東京には美味しいもつ鍋屋さんもちゃんとあるもんです。ごちそうさまでした。

Base jump!

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このところGoProのYouTubeチャンネルでベースジャンプの動画を見るのにハマっています。ベースジャンプとはスカイダイビングのように飛行機から飛び降りるのではなく、高層ビルや橋げた、断崖絶壁などから飛び降りてパラシュートで着地するスポーツです。

僕は高所恐怖症なので、飛び降りる瞬間がもう、ずんずんしてたまらんのですが、ウイングスーツを着て自由に飛び回る映像には目が釘付けになります。世の中には命知らずな人がいるもんですね。

特にこの動画の7:20からのジャンプはマジで半端ない。頭のネジがぶっ飛んでる。モスのダウンウインドごときでビビってる場合じゃないぜ。

ナショナル結果

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何度かとりあげたモスのオージーナショナルは、肉団子ロブが逃げ切って優勝しました。2位に18フッター乗りでもあるスコット・バベッジ。3位に49erのワールドチャンプ、ネイサン・アウタリッジ、4位には49erワールド2位のピーター・バーリング。そしてAmacが5位でした。

ロブは今回、ノースセールジャパン製のGM-1を使用したようです。ついにモス界にもノースジャパン旋風が吹き荒れるのでしょうか。市場の9割くらいKAセールが独占しているので、競争が生まれるのはいいことです。

しっかし、たかがモスのナショナルごときで、レイデーを含めて6日間ものレガッタをできるのが凄い。土日だけの全日本モスとは大違いだ。もっともっと仲間を増やして、50艇くらいの全日本を1週間くらいバーンとやりたいなー。いつかきっと。

鯨の集い

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大学ヨット部OB会の新年会へ行ってきました。卒業してもう16年も経つのに、久しぶりに顔を合わせれば、つい昨日のことのようにいろんなことを思い出します。現役時代は雲の上だった大先輩や、僕を雲の下から見ていたであろう後輩たちと、フラットな関係で楽しく酒を酌み交わしました。

1軒目を出て、夜の銀座を徘徊し2次会へ。酒もだいぶ回って、宴もたけなわの頃に終電の時間になってしまいました。去年までの僕なら、絶対に最後までつきあって、始発で帰宅してたでしょう。でも今年は違います。ショップをやっているので朝帰りなどできないのだ。新橋の駅を全力ダッシュで駆け抜け、なんとか終電に飛び乗りました。ふ〜よかった・・・

はっ

ここはどこ?
んぎゃー、藤沢じゃんか。やらかした!大船で乗り換えるつもりが寝過ごした!

自慢じゃないけど、決して自慢じゃないけど、電車の寝過ごしなら誰にも負けません。その昔、横浜で酔っぱらって東海道線で平塚までのつもりが、起きたら大垣だったことがあります。わっはっは。

という訳でやむなくタクシーで葉山まで帰りましたとさ。ちゃんちゃん♪

ブログを立ち上げて1ヶ月が経ちました。かつて5年ほど駄文を垂れ流したことがありますが、それから7年あまりもサボり、ずいぶんと書きたいこと、伝えたいことが貯まったので、一念発起して再開したような意味合いもあります。よし、とりあえず当面は毎日書いてみようと。1ヶ月過ぎてみて、あいかわらずの駄文で成長のなさを実感してますが、まだまだ書きたいことはたくさんあるので、日々少しずつでも更新を続けていきます。いつまで続くか責任は持てませんが・・・

故スティーブ・ジョブズ曰く、「すべてを変えてしまう製品」に出会う時があるそうです。iPodやiPhoneのような、それまでの流れをすべて変えてしまう製品を英語でGame Changerといいます。その後にはたくさんのフォロワーやコピーが生まれ、振り返ればあの製品が分水嶺だったんだと分かりますが、世に出たその瞬間にこれがゲームチェンジャーだと気づくのは簡単ではありません。

7年前に初めてVSRに乗った時は本当に衝撃でした。どうしていままでこれが存在してなかったのかが不思議でしょうがない。今後はこれなしの世界は考えられない。これが売れない訳がない。それほど自信を持てる製品だったし、いまでもまったくその思いは色褪せていません。

Zhikもそうです。4年前に初めてZhikを着て470でトラピーズタックをした時には「なんじゃこれ!」と叫びました。何も着てないかのような軽さと柔らかさで、それまでのウェットスーツにはもう戻れないと感じたものです。

そんな衝撃を受けるほどの製品には、めったに出会えるものじゃありません。僕は本当に幸せな男です。なぜならまた出会ってしまったからです。ゲームチェンジャーに。

理屈抜きに楽しく、速く、簡単で、安い。このフネがついに今春、日本にやって来ます。今年はSeascape 18の年です。誰よりも自分が遊びたくてワクワクしてますw

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